私が確実に自殺を実行すると言い切れる8つの理由・要因

「私は自殺する予定で生活をしています」

と言うと、ほとんどの人たちは信じてはくれない。

なぜならば、自殺を周囲の人間にほのめかす者は大抵、「構ってほしい」「気遣ってほしい」「心配してほしい」という思いから、わざと人の気を惹くために自殺という言葉を使うからである。

そのため、本当に自殺する予定で生活している私のような者でさえも、、、

  • 「どうせ構ってほしいだけだろ?」
  • 「心配してほしいから言ってるんだろ?」
  • 「人の気を惹きたいから嘘吐いてるんでしょ?」

と、判断されてしまうことになる。

正直、信じてもらわなくとも別に構わないのだが、表面的な部分だけで誤った判断や捉え方をされるのは少し腹立たしくもある。

なので、この記事では

  • 私がいかに本気で自殺しようとしているのか
  • なぜ、確実に自殺すると言い切れるのか
  • なぜ、自殺を選択するのか

ということについてなるべく詳細に語り、私の言葉が“人の気を惹こうとするためのただのパフォーマンスではない”ということを示してみようと思う。

なお、私の詳細なプロフィールを見る前にこの記事に辿り着いてしまった人は、まず、プロフィール記事に目を通していただけると非常にありがたい

詳細なプロフィールはこちら▼

ブログ著者のプロフィール【経歴・イジメの内容・主義・思想・疾患・障害・性癖・好き嫌いなど可能な限り全て公開】
◆ご報告 当ブログを運営しておりました管理人が令和3年11月20日、以前より計画していた自殺によって、30歳にて永眠い...
当ブログは、Googleのアクセス解析ツール『Googleアナリティクス』を利用しているため、あなたが当ブログの記事をきちんと読んでいるかどうか等を知ることが出来ます。興味本位で見に来ただけだからと言って適当に読み飛ばさないように。あなたの行動は全て見ていますからね。

私が確実に自殺を実行すると言い切れる理由・要因

1:努力や苦労をしてまで生き続けたいとは思わないから

努力や苦労とは主に勉強や労働のことを指し、これらを行うとその対価として金銭や住居や食料などが手に入り、娯楽を楽しむ余裕が生まれ、ある程度の安定した生活を送ることが出来るようになる。

これが人間の基本的な人生における行動である。

しかし、私はこれらの努力や苦労によって得られるメリットにはあまり魅力を感じない。

勉強や労働という努力や苦労によって手に入るメリットは一般的に、、、

  • 食事をして美味しいと感じる
  • 映画を見て楽しいと感じる
  • 景色を見て感動する
  • 好きな人と過ごす幸福な日々
  • 友人たちと遊ぶ
  • 家庭を持って子育てをする
  • 高級品を手に入れる
  • 広くて綺麗な家に住む
  • 良い会社に勤める

などが主なものであり、ほとんどの人間はこのような幸福や安定した生活、余裕のある生活を手に入れるために努力や苦労をしていく。

ただ、私はこれらのメリットをあまり魅力的に感じないため、勉強や労働などの努力や苦労をしてまで手に入れたいとは思えないのである。

食事をすれば「美味しい」と感じて幸福な気持ちにはなるし、映画を見れば「楽しい」と感じて幸福な気持ちにはなるが、これらはあくまでも”一時的な幸福”であり、努力や苦労の日々を癒す束の間の休息に過ぎない。

一時的な幸福が終われば、再び努力や苦労を必要とする日々が待っているのだ。

また、一時的な幸福は努力や苦労によって手に入る”一時的な安定”の上に成り立つものであり、不安定な生活状況だと一時的な幸福はより短く儚いものへと変化する。

私はこれらの努力や苦労をして手に入るメリットが割に合わないというか、頑張って得たとしても全ては一時的でしかないため、わざわざ努力や苦労をしてまで手にしたいとは思えない。

大きな努力や苦労をして、安定してきたら少しずつ休息期間を増やしたり、資産運用などで収入を得て、努力や苦労をなるべく少なくて済むようにするという生き方もあるが、これらは限られた人々にしか出来ず、ほとんどの人間は努力や苦労を定期的に行わなければならない人生を歩むことになる。

人間が幸福を得るには生きている限り、努力や苦労をし続ける必要がある。努力や苦労をやめてしまうと徐々に不安定な状態になっていき、やがて苦痛を感じるようになる。

しかし、苦痛を味合わないようにするために努力や苦労をしても、得られるのは一時的な安定と一時的な幸福であり、これらを持続させるには努力や苦労をし続けなければならない。

努力や苦労自体も苦しいものであり、努力や苦労をしない状態も苦痛を味わう。そして、努力や苦労をしても得られるのは一時的なメリットだけ。

となると、人間の人生は生きている限り、苦しみの割合のほうが多いということになる。

苦痛な状態こそが人生のデフォルトであり、努力や苦労という別の苦痛を自ら行うことで苦痛を相殺し合って、一時的に苦しみを忘れようとするのが人生というものだと私は考える。

さらに私の場合、障害者であるため、苦痛を忘れるために必要な努力や苦労の量は健常者よりも格段に多くなる。

にも関わらず、得られる安定と幸福は健常者と同じく一時的なものでしかなく、手に入れたいと思うほど魅力的なメリットもない。

あとに残るのは疲労と虚無感しかないというのは納得し難いのだ。

となると、努力や苦労をしてまで生き続けることに疑問を抱くのは当然と言えるだろう。

 

2:欲望を素直に解消することが出来ないから

人間は自らの欲望を満たすために生きていると言っても過言ではない。

努力や苦労の末に手にするメリットは全て欲望を満たすためにあるとも言える。

世の中のほとんど人たちは、自らの欲望を努力や苦労をすることである程度は満たすことが可能になっているため、頑張り次第では不満を感じることなく生きていけるだろう。

しかし、私の場合、自らの欲望の大半が”努力や苦労をしても確実に満たされることは無い”とわかりきっている。

私は幼い少女に対する強姦衝動や、街中にいる人間たちへの殺害衝動といった歪んだ欲望を強く持っているが、これらの行為は犯罪であるため、何をどんなに努力しても、苦労しても、満たすことは不可能である。

このような現実では決して満たされない欲望は犯罪にならないような代替品を使うことで、自分の欲望を騙し、衝動を抑えるしか対処法が無い(病院で治療をするという選択肢については後述する理由から除外)

お腹が減ったら食事をする、眠いから寝る、遊びたいから遊ぶというように、”素直な形で欲望を満足させること”は出来ないのだ。

一応は代替品で満足出来ているので、犯罪に走るようなことは無いと思うが、結局は自分を騙しているに過ぎず、本質的には何も満たされていない。

欲望が代替品によって満たされると同時に、心のどこかでは虚しさや悲しさ、悔しさのようなものが混じり合った空虚な思いが発生する。

このような決して素直には満たされない欲望を持ち続けること、自分を代替品で騙して、中途半端な満たし方で苦痛を伴う虚しさが残る対処しか出来ないこと、これらの欲望や感覚が今後の人生でも死ぬまで続いていくことを思うと、自ら命を絶って楽になるほうが精神的苦痛を受けずに済むと判断できる。

また、代替品で満足出来なくなってしまい、犯罪を犯してしまうようなことになる可能性も否定出来ないため、誰かを傷付けてしまう前に自殺したほうが被害者が出ずに済むのではないか、という思いもある。

 

3:病気や障害を治療する気が無いから

私は自己顕示欲が強いが、それを満たせないままでいる。

自己顕示欲は基本的に他人よりも目立ったり、他人と比較して優れている点が評価されることで、承認欲求と共に満たされることが多い。

しかし、私は目立ちたいと思いながらも目立つことによるデメリット(実害が発生するような被害が発生する等)を考えると、目立つような行為を躊躇してしまう。

また、他人と比較して優れている点が一切無い、もしくはあったとしても満足のいく評価を受けていないため、自己顕示欲はまったく満たされないのだ。

自己顕示欲が強いにも関わらず、それが満たされない日々を何十年も送ってきた私は”優れている点による他人との差異には期待できない”と判断し、その代わりに”他人よりも劣っている点による差異”から自己顕示欲を満たすという考えに至った。

つまり、他人と比較して著しく劣っている、病んでいる、不幸な状態にある、理解されにくい思想や主義や気持ちの悪い性癖を持っているというような点を利用して、悪目立ちのような方法を取ることで自己顕示欲を満たそうとしているのである。

ヒーロー(好かれる人)として目立つことが出来ないから、ヴィラン(嫌われる人)として目立とうとするようなものだ。

何も持っていない、何も誇れるものが無い私にとって、今や病気や障害は、、、

  • 自分らしさ
  • 自分を自分たらしめる要因
  • 病んでいる壊れている自分こそが本来の自分

というような、一種のアイデンティティとして定着してしまっている。

また、そう思うことで自分が本当は無能でどうしようもないクズであるということから目を背け、特別な存在であるという錯覚や妄想、現実逃避を行い、自己肯定感の維持をしているのだ。

病気や障害を治療してしまうと、他人と比較して劣っている点すらも失ってしまい、自己顕示欲や自己肯定感を得る手段も無くしてしまうことになる。

そして私は他にも、自分が病気や障害であるということに対して、「病気だから仕方がない」「障害だから無理」というような便利な言い訳としても活用していたり、出来ない自分、不出来な自分、不器用な自分を許して肯定するための材料としても使っているので、これらが治療によって失われてしまう可能性があると思うと、不安と恐怖から治療を受けようとは思わない。

病気や障害で苦しんでいるのは事実(過去に診察を受けて病名は判明している)だが、病んでいる、壊れているこの状態こそが自分らしいと思い、自己顕示欲や自己肯定感を満たすための唯一の方法であるため、苦痛ではあるけれど治すということは出来ない。

だから苦痛を抱えながら生きるしかない。だが、この苦痛から逃れたいという気持ちもある。

となると、残される選択肢は自殺ということになるのだ。

 

4:死ぬまで働かない(働けない)から

労働は基本的に生きていくためにするものだが、努力や苦労ををしてまで生き続けたいとは思わない私にとって、労働などする気になるはずがない。

やりたくもないことをやってまで生きていたいとは思わないし、かと言って、やりたいことで稼げるほど能力があるわけでもないし、稼げるまで能力を高めるのは非常に面倒なのでしようとも思わない。

唯一、働く必要性を感じる場面と言えば、私の代わりに働いている両親の姿を見ている時ぐらいだろう。

ただこれは、老体に鞭打ってまで働いている両親に対する罪悪感から「働かなければ」という思いが起こっているのであって、私自身の本質的な部分では働きたくないと思っているし、働く必要性は感じていないのである。

このように私は働くことを拒んでいるため、ただ単に労働を嫌っているニートや無職だと思われるかもしれないが、そもそもとして私は”社会に出て働くことが出来るような状態ではない”。

つまり、仮に私に労働意欲があったとしても、社会に出て働くことは出来ないのだ。

身体に関しては、免疫力が非常に弱く、病気にかかりやすい体質なので、年中、何かしらの病気にかかっている。また、足腰は過去に働いていた会社で壊してしまったことをきっかけに、長時間同じ姿勢をし続けることが困難で、歩行の際には杖が無ければならない状態にある。

そして、精神に関しては、見ての通り至る所が狂っていて、まともな思考や行動が出来ず、社会に出て普通に過ごすのは非常に難しい。

最悪の場合、犯罪を犯しかねないほど不安定な状態なのだ。

昔、何名かの精神科医に診てもらったところ、、、

  • 「社会復帰は難しい」
  • 「社会に順応できる人格ではない」
  • 「凶悪犯罪を犯しかねない人格である」
  • 「攻撃性の高い傾向にある」
  • 「あなたの精神状態を治すのは不可能に近い」
  • 「あなたは社会に出ないほうが良いかもしれません」
  • 「私では手に負えないので他の病院を紹介します」

という、医者たちからお墨付きのお言葉をいただいている。

身体が弱くて杖無しでは満足に動けない私には肉体労働は不可能だし、生まれつき知能が低いため、体を使わない頭脳動労もまったく出来ない。

働きたいと思っても働けるような身体と精神ではないし、そもそもとして、生き続けることを拒否しているため、努力や苦労を必要とする労働をする気にはならない。

私は生きている限り、両親が働いている姿を見て罪悪感に苛まれながら、さらに精神が病んでいくのを感じる日々を送るしかない。

ならば、自ら命を絶つほうが苦痛を味わわずに済むというわけである。

 

5:生活保護を利用する気が無いから

私が生活保護を利用しない理由は、自分が生活保護を利用するべき人間ではないと思っているである。

生活保護は生活に困窮している人に対する保障制度だが、最終的には社会復帰をして、生活保護を利用しなくても済む状態になることを目指すものである。

しかし、私の場合は社会復帰を望んでいない。

諸事情あって、社会復帰が出来ずに生活保護を利用し続ける人もいるが、このような人たちは”自らの意思で社会復帰を拒んでいるわけではない”ことが多い。

ただ、私は自らの意思で社会復帰を拒んでいるため、生活保護を利用することに抵抗感や、税金を納めてくれている社会人の方々に対する罪悪感のような申し訳なさがある。

また、私は生きることに消極的である。

生活保護を利用すれば、努力や苦労をせずに生き続けることは可能になるかもしれないが、生き続けたとしても、欲望を素直に解消することは出来ないし、病気や障害を治療する気もないし、労働によって社会に利益を与えることもない。

むしろ、下手をすれば何かしらの犯罪を犯し、他者や社会に被害を与える可能性の高い反社会的存在になってしまうことも強く否定できない。

このように生きることに対して意欲が無く、消極的であり、反社会的行動を取る可能性の高い私のような人間は、人様が稼いだお金で生き続けるべきではないと考える。

生活保護は生活に困窮しているかどうかという以前に、生きることに積極的な者、社会復帰を強く望んでいる者にのみ利用されるべき制度ではないかと思う。

故に私は今の生活が送れなくっても、生活保護を利用することは一切ない。

取るべき選択は自殺のみである。

 

6:障害者雇用を利用する気が無いから

私が障害者雇用を利用しないのは、先ほどの生活保護と同じように、私のような生きることに意欲の無い者、努力や苦労をしたくない者、反社会的行動を取る可能性が高い者は、障害者雇用を利用するべきではないと考えている。

また、ただでさえ雇用枠の少ない障害者雇用を、大して働きたくもなく、生き続けたいと思っていない人間で埋めてしまうのは、他に大勢いるであろう生きることに積極的な障害者のチャンスを奪ってしまう形になりかねないため、私はこの制度を利用したくないのだ。

ただ、もし仮に私に労働意欲があったり、生きることに積極的だったとしても、障害者雇用を利用しないという結論は変わらないだろう。

障害者雇用で働く場合、一般の会社員よりも低い賃金で働かされることが多い。中には一般の会社員よりも稼ぐことが出来る人もいるが、それは稀であり、ほとんどは低い金額で使われることになる。

また、私のようなプライドが高い人間は、健常者から見下されることに激しい苦痛と怒りを感じる。表立って見下されるような言動がなくとも、見下されているような感覚という主観さえあれば、それだけで精神に大きなダメージを負うことになる。割合的に健常者が多い会社では、嫌でもこのような精神的苦痛が発生してしまう。

そして、これは非常に差別的になってしまうが、私は障害者が嫌いである。

身体、知的、精神、どの障害者とも一切関わりを持ちたくはない。

私は病的なまでにプライドが高く、自分を特別な存在だと思い込んでいるため、基本的に自分以外の全ての人間を見下し、蔑み、生きる価値の無い下等な生物であると考えている。その中でも障害者のことは多くの健常者たちと同じような感覚で見下しているので、自分が他の障害者と同じような扱いをされることに耐えることが出来ないのだ。

「何故、あんなにも気持ちの悪い連中と同じ扱いを受けねばならんのだ!」と、苛立ちの感情が沸き起こる。

以上の理由から、私は障害者雇用を利用することは絶対に無いし、仮に生きることに積極的だったとしても、病的なプライドや障害者に対する差別感情が邪魔をして利用することは出来ない。

本来は無能の障害者であるクセに、自分を特別だと思い込み、他の人間を蔑むような人格、認知が歪んでいる私のような者は、あまりこの世に長居するべきではないため、自殺という方法を取るべきと判断する。

 

7:ホームレスにすらなれないから

今現在は両親のおかげで衣食住のある生活を送れているが、このまま時間が過ぎれば、やがて私は住む場所を失い、路上生活者、いわゆるホームレスになるだろう。

しかし、私はホームレスになるつもりはない。

まず私は潔癖症であるため、ホームレスのような汚らしい生活を送るのは絶対に出来ない。

1日1回は必ず風呂に入らなければ気持ちが悪いし、誰が触れたかもわからない公共物を利用するなんて考えられない。ゴミを漁るなんてことも出来ないし、残飯を食して生きるくらいなら死んだほうがマシである。

先ほども書いた通り、私は病的なまでにプライドが高く、基本的に自分以外の人間を見下している。障害者に対して差別的な感情を持つのと同様に、ホームレスに対しても差別的な感情を持ってしまっている。

私はホームレスのような見るに堪えない人類の最下層にはなりたくない。

はっきり言って、私には彼らホームレスが何故人類の最下層に堕ちてまで生きようとするのかがまったくもって理解出来ない。

某メンタリストのように彼らに対して「死ね」と言っているわけではない。ただ、もし私が同じ立場ならば、ホームレスとして生き続けるよりも自殺することを確実に選ぶからこそ疑問なのである。

彼らは彼らなりに生き続けるだけの理由があるのか、それとも自ら命を絶つことが出来ないからだらだらと生き続けているのか、くだらないプライドを全て捨てれば最下層でも楽しいのか、多分私には死ぬまで理解出来ない価値観なのだと思う。

ただ、ホームレスを見下していながらも、尊敬の念を抱かざるおえない部分があるのも事実だ。

彼らはただ適当に生活しているわけではない。ホームレスの世界にも上下関係や縄張りといった社会構造が強固に組まれている。

一般的な人間社会からドロップアウトしたはずの人々だが、彼らの世界では彼らの人間社会があり、そこに属するものはルールを守らなければならない。

つまり、ホームレスにも社会性が求められるのだ。

人間との関わりを拒絶し、社会の枠からも外れ、生きることに消極的な私には、人類の最下層であるホームレスの社会にすら参加することは出来ないだろう。

ホームレスになるくらいならば、迷わず自殺することを選ぶくらいなのに、見下していたホームレスよりも自分が下層の人間であるという事実を真に受けてしまえば、より、自殺に対する実行率は格段に上がるというものである。

 

8:両親が存在しない世界に価値を感じないから

子供の頃から人間と関わるのを苦手とし、学生時代にはイジメを受けたことで人間不信、対人恐怖症を発症。

社会に出てからも職場での浅い人間関係、本音を隠して建前だけでコミュニケーションを取る人たちへの気持ち悪さ、現実世界では礼儀正しい振る舞いをするが、ネット上では乱暴で刺々しい発言を平気でする世間の人々の醜さなどを嫌というほど見てきたことで、私の人間の対する印象や評価というものは完全に地に落ちている。

自分が今まで関わったり、目にしてきた人間が偶然にも酷い人間性、自分とは波長が合わない人間たちだったということも考えられるが、人間が自身の人格や価値観を形成するのに、体験や経験といった主観が大きな割合を占めるため、私が人間に対して好意を持たず、未だ、関係や交流を望まないのは当然の結果と言えるだろう。

人間との関わりを持たない、持ちたくない私にとって、両親の存在は世間一般の人々よりも大きな意味を持つ。

通常、人間は両親以外にも外に人間関係を構築していき、自分の存在意義を関係性の中に見出す。それが友人、恋人、家族、同僚など、複数の関係性を持つと、たとえ1つの関係性が消滅しても他の関係性が残っている限り、自分の存在意義までは完全に消滅することは無い。

しかし、人間との関係性が少ないと、それらが全て失われた時、自分の存在意義も同時に失うことになる。

つまり、誰とも関係性が無い、天涯孤独のような状態になった時、、、

  • これ以上生き続ける必要はあるのか?
  • 自分にとってこの世界に価値はあるのか?

などの疑問が発生する。

孤独を苦痛と思わない、むしろ好んでいて、生きていくための努力や苦労ができ、また新たに別の存在意義を見つける、もしくは自分の中に存在意義を持つことが出来るような人間ならば、ここで死を選ぶことはないだろう。

ただ、私の場合、孤独を誰よりも好んではいるが、生きていくための努力や苦労をする気はなく、両親との関係性の中に見出している存在意義以外に、新たな存在意義を見つけようとするだけの行動力や意思は一切無いため、自殺を選ぶというわけである。

両親としか関係性を持たない私は、両親がいなくなった世界には何の価値も感じず、努力や苦労をしてまで自分の存在を保つ必要性も特に無いと考える。

私がいなくなったところで誰かが困るわけでも、悲しむわけでもない。むしろ、私のような反社会的行動を取る可能性が高い人間は、他者を傷付ける前に自らこの世を去ったほうが不幸になる人が出ずに済むだろう。

頑張って生き続けてまで見たいもの、食べたいもの、行きたいところ、感じてみたいことなどは無いし、やりたいことはいくつかあっても、ほぼ全てが犯罪行為なので、生きていても行うことは出来ない。

となると、両親がいなくなった世界に私が生き続ける必要、長居し続ける理由はどこを探しても見当たらないため、とっとと両親のあとを追って自殺し、両親の元へ行くのが私にとって最大の幸福と言える。

まあ、両親からすれば、死んでもなお、私のような不出来な子供があとを追ってくるというのは、向こうからしたら最大の不幸かもしれないが。

 

おわり

  1. 努力や苦労をしてまで生き続けたいとは思わないから
  2. 欲望を素直に解消することが出来ないから
  3. 病気や障害を治療する気が無いから
  4. 死ぬまで働かない(働けない)から
  5. 生活保護を利用する気が無いから
  6. 障害者雇用を利用する気が無いから
  7. ホームレスにすらなれないから
  8. 両親が存在しない世界に価値を感じないから

以上、私が確実に自殺を実行すると言い切るために示すことが出来る理由や要因である。

これらの理由や要因は私の本質的な部分、人格や価値観に深く根付き、長い時間が経っているため、よほどのことが起きない限り揺らぐことのないものだと思う。

自分の感情や考えを言葉にするのが苦手なので、上手く伝わっているとは思えないが、少なくとも冒頭で言ったような”人の目を引くだけのただのパフォーマンス”ではない、ということだけでも伝わっていれば幸いだ。

joker

重度の精神障害と発達障害、HSP、小児性愛などを抱える無職歴10年以上の社会不適合者、犯罪者予備軍大将、無敵の人。

酒を飲みながら絵を描いたり、立体物を作ったり、ブログを書くのが日課。

自殺する予定で生活しているので、ブログの更新が止まったら私が自殺したと思ってください。

※上の“joker”という部分をタップするとプロフィールページに飛びます

jokerをフォローする
コラム・エッセイライフスタイル
この記事を拡散する
jokerをフォローする
人生は死ぬまでのひまつぶし
タイトルとURLをコピーしました